『マイマイ新子』片渕須直監督トークショウ in キネカ大森(1)

2012年9月8日に行われた『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督とアニメ評論家の氷川竜介さんとで行われたトークショウとティーチインを公開します。本記事は片渕監督と氷川さん、上映が行われたキネカ大森さんのご好意により公開されることになりました。この場にてお礼申し上げます。


日時:2012年09年08日
   16:35(~18:15)『マイマイ新子と千年の魔法』
   18:25(~20:27) 『ももへの手紙』
   20:30 トークショウ&ティーチイン

会場:キネカ大森
ゲスト
映画監督:片渕須直
アニメ評論家:氷川竜介

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----本日はご来場ありがとうございます。ただいまよりトークショウとティーチインを行います。ゲストは『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督とアニメ評論家の氷川竜介さんです。それでは拍手でお迎えください。
会場:(拍手)
氷川:ただいまご紹介あずかりましたアニメ評論家の氷川竜介です。
片渕:すみません。沖浦(啓之)監督が来られないので、一本前の映画の監督の片渕須直です。よろしくお願い致します。
氷川:ではこれから前半ふたりでトークを進めて、後半ティーチインという形にしたいと思います。ここキネカ大森さんで長年行われている形式でしょうか、昔『天使のたまご(1985年・押井守監督)』という押井監督のOVA(オリジナルビデオアニメーション)が出た時もここでティーチインが行われてアニメージュ(徳間書店)の付録に付いたことがありました。30年近く前で相当古い話なんですが。まあお客さんからご質問等受けながらティーチインという形で私と片渕監督とでお答えしたいと思います。
 まず『マイマイ新子と千年の魔法』ですが、片渕監督はそうとう長くイベントに出られていると聞いています。何年くらいになりますか。
片渕:公開が2009年11月なんで、あと3ヶ月くらいで3年経つんですけど、そういう意味で言うとかねてより存じ上げている氷川さんではありますが、氷川さんが『マイマイ新子』をご覧になっているところを最初に見たのは日大の芸術学部映画学科で試写(2009年10月23日)ですよね。こういう映画ですから若い人達はどう反応するかと思ったんですけど、暗くなって上映されている間に結構グスグス鼻をすする音がし始めて、学生にも通じているんだなと思って、で上映が終わってパッと明るくなって前に出てみると客席に氷川さんとそれから『マイマイ新子』のファンの方々の上映存続の署名活動をやってくださった廣田(恵介)さんがなぜか学生に混ざっていらっしゃって、氷川さんに見られちゃってた、って思ったのが最初でした。もう2009年の11月に入ってたんですかね。10月の終わりだったのか。
氷川:そうですね。そろそろ一般試写が回るという頃でした。たぶんその年はですね、金田伊功さんが夏に亡くなられて、その(葬儀の)帰りに一緒になって、『マイマイ新子』の話をしたと思うんですが。
片渕:そういう意味でいうと上映前からこうやって人前に出てお話するようなことをやってたものですから3年は堅いかなと思います。
氷川:その日大の話をすると大変申し訳ないんですが、途中から入ったんです。
片渕:それも存じております(笑)。
氷川:僕らの世代からするとギリギリ映画が入れ替え制になる直前の世代でして、途中から観て頭の中で繋ぐのは普通だったんです。70年中盤頃までは二本立て公開も普通だったですよね。
片渕:昔はだいたいそうなんですね。二本立て位だったらいいんですけど、四本立てくらいで真ん中から観て一巡してそこまで観なければと思うと結構大変だった記憶がありますよ。
氷川:気に入った映画だと一周半して最後からもう一回観たりすることは普通でしたね。でも『マイマイ新子』は後半だけ観ても「なるほど」という感じがしました。つまりその「千年の魔法」みたいな言葉が書かれているから、何かの契機に千年前にタイムスリップするみたいなことが普通のアニメの作り方だと思うんですよね。だけど、そういうことじゃなくて、我々が生きている当時としては2009年から50年位前の昭和30年と、昭和30年からみて千年前と、べつに別れてはいないんだと、そういうことですよね。
片渕:うん。不思議に、たぶんこの辺(キネカ大森という場)にも押井さんがティーチインされた時空が何か重なっているわけですよね。
氷川:でもそういう話っていうのがこの3年の間、染みるんです。さっき金田伊功さんの話題が出たわけですが、おそらく金田さんが皮切りだったと思いますけど、驚くべき数のアニメ界の才能をですね、数を数えるのが憂鬱なくらいここ3年で喪ったわけです。
片渕:実は昨日も氷川さんとご一緒させていただいて。とある場所なんですが、それが3月に亡くなった『宇宙戦艦ヤマト(1974年)』の石黒昇監督の送る会だったわけです。
氷川:そうなんです。特撮関係者でも私の師匠である竹内博さんという円谷英二研究の第一人者が去年亡くなったりして、かなり近しいひとが立て続けに亡くなってます。そういう事が続いて起きて、より『マイマイ新子』的な同時存在的な、自分を形作っているものは何なんだろうと、ものすごく考えさせられる機会が立て続けに起きたんですね。僕らはどこから来てどこへ行くのかじゃないけども、何なんだろうと、ものすごく考える中の『マイマイ新子』の大切さを今日来る道々で思っていたわけです。
片渕:昨日も氷川さんの解説を交えながら『宇宙戦艦ヤマト』の氷川さんの編集してこられた本編のカットに石黒さんの描かれた原画の映像を観ていたわけですが、ふと後ろを見ると松本零士さんがそこに立っておられて、その画面をじっと見つめてらっしゃってね、で「35、6(歳)だったんだ。僕たちは。」って仰っていたんですよ。それから35、6年経ったじゃないかなと思うんですが、若い頃に一つの映像を作るために一緒になっていた、その時間の流れみたいなものを感じつつ、その次元がそこに同時に存在している感じを覚えてしまって胸を打たれましたね。
氷川:予見的と言っては失礼かもしれませんが、今は『マイマイ新子』的なメッセージというのが必要とされるタイミングなんだなと思いました。
 僕らってスタンドアローンでオギャアと生まれて死んでいく訳では全然なくて、自分たちを形作っている物質だって全部地球から借りて、過去どこかにあった物質がたまたま形になってるだけ。それも、いずれはバラバラになってお返しするわけですけど、それを人間単体の生まれて死ぬってだけで考えちゃうとあまりに切ない。そうではなくて、繋がりだとか同時存在的な何かを、ここ3年で切実に思ってしまっています。
片渕:我々はどうしても何かを残していく立場なんだということを『マイマイ新子』なんかを作ってから実感したここ数年でした。
氷川:他の作品と比較するのは失礼かもしれませんが『ALWAYS 三丁目の夕日(2005)』みたいなノスタルジーをファンタジーとして描くというような、商売としての分かりやすいスタイルもある訳じゃないですか。でも、『マイマイ新子』は違う。ここにポスターが飾ってある(『この世界の片隅に』を指しつつ)この作品も前に実写化されているわけですが、実写だとある種振り返り的なものにするのに適している企画ではあるんですが、そうはしない訳ですよね。
 あ、すみません。僕のこの作品に対する立ち位置を説明しますと企画書のための「片渕さんてこういうひと」という推薦というか紹介の文章を書かせて頂きました。
片渕:実は企画書の中に氷川さんの文章が相当ページ数書かれていまして。
氷川:そんなにページ数多く書きましたっけ?
片渕:すみません。お送りしていませんね。
会場:(笑)
氷川:何文字かは忘れてしまったんですが、アニメスタイルの小黒祐一郎編集長から依頼があって「片渕さんてこういうひと」という文章を書いたんですが、来る前に読み返してみると、ちょっとあれはハイテンションな文章でしたね。
片渕:なんだか読んでて気恥ずかしくなる文でした。
氷川:(笑)。どんなことを書いたかというと、さっきから話していることに絡んでいるんですが「人」と「世界の機微」を描ける作家であるということを書かせていただきました。アニメって自由だから、どういう作り方でも出来るんですけども、アニメーションって言葉が示す、命を吹き込むというのは本当は何なんだろうってことを、ここ10数年考えてます。特に日本で発達してきたアニメってすごく独特になってて、先ほどまで上映されていた『ももへの手紙』もそうなんですが、欧米的なアニメーションってパントマイムというかコリオグラファー(振付師)というかヴォードヴィリアン(芸人)というか、「動いているわたくし、見て見て」というスタイルです。キャラクターはタレントですよ、注目してください。背景は背景ですよ、そんなに見なくていいです。CG中心になった今でもそういう作りをしていることが多いと思うんですが、日本の場合はそうじゃなくて「世界が丸ごと生きてますよ」という作りが増えているわけですね。それが主流というか。そういうような事を考えた時に、『マイマイ新子』的な考え方って、空間だけでなく時間も隔ててとらえてないんだと。そういうことを含めた機微や繊細さが一番のポイントじゃないかということを書いたんですよ。
片渕:あの本当にその意味でいうと昨日の話に戻ってしまうんだけど『宇宙戦艦ヤマト』を見てた頃には僕ら中学生だったりしたわけで、その時代にアニメーションってこういうことやるんだって思ってたものが、いつの間にか自分も50を過ぎてしまっているわけなんですね。で、70代後半とか80代の方も同じ場所にいらっしゃったんですけど、よく考えてみると最前線に立たされているのは僕らなんだなという肩の荷がドシンと来る感じもあったんですけど、そういう風に考えてみると僕らはアニメーション面白いなと思った時代って自分のすぐこの辺(自分のすぐ近くを手で指し示しながら)にあるわけですよ。それと今そうやって「お前ら後頼むぞ」と言われているような感じと、むしろ自分たちが「あと頼むぞ」と言わなきゃいけない立場になりかけているんですよね。その今の自分と中学生くらいの自分が同居しているような感じがします。それが空間的な中じゃなくて、内面として個人の中にそういうものってあると思うんですよ。子供は絶対に大人にならないかもしれなくって、だけど子供の中にも初めから大人が存在しているのかもしれない。
氷川:確かにプレインストールされている感じはありますよね。
片渕:で、そういうものってその局面、その局面でどの部分がクローズアップされるかで重層的に一人の人間が形作られていると思うんですよ。
氷川:僕個人の話をしても仕方ないかもしれませんが、僕が子どもの頃に『少年忍者風のフジ丸(1964年)』をやってまして、『鉄腕アトム(1963年)』って4年やってたので同じ時期にやっていたと思うんですが。
片渕:藤沢薬品ですよね。
氷川:そうです。自分がどういう風に当時見てたかという記憶が残っているんですけど、『鉄腕アトム』とか『オバケのQ太郎』とかカックンカックンした動きで、「大人って何て手抜きのテレビまんがを作るんだろう」と思ってたんですよ。ところが『フジ丸』のオープニングって木で出来た砦の上で斧と剣でチャンバラするんだけど、腕を振ると着物の裾が跳ね返ったりして、ものすごくスムーズにリアルに動いている。『フジ丸』のようなものを作れる大人がいるのに、どうしてこっちはカックンカックンした動きで手抜きをしているんだろうと、たぶん6歳くらいで考えていたんですよ。そういうことを考えていると、こんな大人になってしまうという。
会場:(笑)
氷川:当時『オバケのQ太郎』って日曜の7時半にやってたんですけど、『オバQ』が始まる直前に東京12チャンネルに回すと『ディズニーランド』をやってて、4本か5本に1本しかアニメはやらないんだけど、始まる前にティンカー・ベルが一コマ打ちのフルアニメーションでキラキラキラってきれいに飛んでくるんです。そこでチャンネルを回すと『オバQ』が4コマか6コマでカックンカックン動いてる。ああ、日本ってお金がないんだなぁと思ってた子どもだったんですよ。そういう事が如実に分かるようになったのも40過ぎてからなわけなんで、長くやっていることも意味があるんじゃないかと。
片渕:振り返る機会が多くなった気もするんですよね。そうした時に元になった自分はどこに行っちゃったのかなと思うと、やっぱりまだいるんだな、と。
氷川:上書きされたわけじゃないですよね。
 じゃ、ちょっと新作に絡めて話を進めましょう。いきなりポスターが出ていてこれが何だろうと思っている方も少なからずいるでしょうし。さっきまで『ももへの手紙』をやってたじゃないですか。ちょっと関係があると言えばあるんですか?


(2)へ続く


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