エースコンバット04-シャッタードスカイ- ACECOMBAT04 -shuttered skyes- 評

エースコンバット04-シャッタードスカイ- ACECOMBAT04 -shuttered skyes-

発売日2001年9月13日(発売中)
定価:\6,800(税抜き)
発売元:株式会社ナムコ
オフィシャルサイト:http://www.acecombat04.com/


 2001年9月に発売されたナムコのゲーム『ACECOMBAT04-shuttered skyes-(以下『AC04』と記す)』は片渕須直監督がサイドストーリーを担当している。『AC04』はF15CやSu35等の現行機、設計段階の機体、はたまた架空の戦闘機をプレイヤーがひとりのパイロットとなり操りながら様々なミッションをクリアしていくフライトシューティングゲーム(フライトシミュレーションより遥かに操作が簡単なので差別化の意味でこう呼ばれる)である。舞台はこの『AC』シリーズの為に準備された架空の大陸「ユージア」。ユージア大陸には大国エルジアとその他多くの小国とが、「武装平和」と呼ばれる一触即発の勢力均衡を長年保っていたが、ある事件(事故)に因り均衡が崩壊、エルジア軍は中立国サンサルバシオンへの侵攻を開始する。我が分身のパイロットはエルジアに占拠された各国を開放すべく作戦に参加する。これはゲームであるからにしてプレイヤーを阻む敵機は障害として見なし、爽快感溢れる空中戦を楽しむだけになってしまいがちである。通常なら物語もプレイヤー側が勝ち行くまでをイケイケで描くのが常套手段であろう。

 しかし『AC04』は違う。ミッションの合間に挿入されたサイドストーリーは戦渦により孤児となった少年の視点で描かれる。ゲーム特有の主観一点張りではなく、プレイヤーを中心とする独立国家連合軍の視線があり、大陸深部の都市に取り残され占領軍相手にハモニカを吹き生活をする少年の視線がある。そしてそれら視線の交わる空には広々とした爽快感に何とも言えない悲壮感が雑じる。少年は両親を死の追いやった「黄色の13」と呼ばれる敵国エースパイロットに復讐を誓うのだが、出合った「黄色の13」との交流の中、躊躇いも感じるようになる。脚本も担当した片渕監督は今までゲームではあまり描かれなかった戦争状況下での人々の生活とドラマをドライな語りで演出したのだ。

 サイドストーリーの映像は片渕監督の所属するスタジオ4℃が担当した。全編静止画で、まるでクリス・マルケルが監督した『ラ・ジュテ』(原題"La Jetee"1962年/フランス)の様だ。表現も凝っており、16mmフィルムで撮影したスチール写真を映写したかのように画面が上下左右に微かに揺れ、明暗も変化する。物語は少年のナレーションで語られ、短いセンテンスで区切られた簡潔な言葉運びは我々の想像力を刺激してくる。私の予想ではあるが、これはアゴタ・クリストフの小説『悪童日記』(原題"LE GRAND CAHIER"1986年/フランス)の文体にヒントを得ているのではなかろうか。クリストフは小説の中でこう書いている。「感情を定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用を避け、事象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。(詳しくは『悪童日記』の「ぼくらの学習」を参照)」。『AC04』の登場する少年の語りも良く似ている。冒頭「黄色の13」に撃墜された戦闘機が両親の残る我が家に墜落するが、その事実のみを語り、哀しみの心情は表に出さない。饒舌ゆえ世界観を崩してしまうゲーム作品の多い中にあって『AC04』のサイドストーリーは優れたファンタジー文学の様な味わいが残る稀な作品に仕上っている。

 補足すると『AC04』本編は現実では無いであろう無茶苦茶なミッションも存在する(普通、弾道弾を戦闘機で撃ち落すだろうか?)。賛否の別れるところだが、世界観も含め近未来SFだと割切った方が楽しめだろう。ミッション中に交される無線も雰囲気に一役買っている。詳しくは書かないがちょっとした英雄誕生の物語にもなっているのだ。PlayStation2をお持ちなら是非一度、『AC04』でゲームの爽快感と片渕監督のサイドストーリーを楽しんで頂きたい。



初出:『アリーテ姫』下高井戸シネマ上映2002年 8/10-16


『マイマイ新子』片渕須直監督トークショウ in キネカ大森(3)

『マイマイ新子』片渕須直監督トークショウ in キネカ大森(2) からの続きです。

2012年09年08日
16:35(~18:15)『マイマイ新子と千年の魔法』
18:25(~20:27) 『ももへの手紙』
20:30 トークショウ&ティーチイン

会場:キネカ大森
ゲスト
映画監督:片渕須直
アニメ評論家:氷川竜介


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@kazu_tama さん撮影


氷川:……と長くなりましたが、ここでティーチインに入りたいと思います。

観客A:アニメーションの人物と背景について質問致します。以前は人物とセルで描いて、背景は画で描いてという作り方だったんですけど、デジタルによってセルは無くなったあと、背景と人物で画としての差異が特に日本のアニメーションでは縮まっていないと思うんですが、片渕監督としてはトータルしての画としてのアニメーションについてどのように考えているのかお聞かせください。
片渕:その話はかなり難しい話だと思うんですけどね。自分の考えじゃないかもしれないけど、いくつかあって一つはアニメーションの画が輪郭で囲われて中がベタで塗られているってのは、遡っていくとアール・ヌーボーの画に戻るんだけど、で、アール・ヌーボーの画って何かっていうと浮世絵の画だったりして、遡ると結局日本画だったりするんですよね。日本画は輪郭で囲ってあって中はベタで塗ってあって、それに対して西洋の絵画はフォルムではなく、質量なんですね。デッサンみたいに陰影を付けて質感を表していく西洋の手法が一つの考え方としてあって、それに対して日本の場合は輪郭で描いていくわけなんですが、背景は背景でね、日本の(アニメの)背景屋さんに聞くと「我々が描いているのは日本画だから」って言うんですよ。『ももへの手紙』は大野広司さんが美術監督をされているわけですけど、輪郭云々を別とすれば、かなり淡い表現は日本画の技術の応用だったりするんですよ。厚塗りしないですし。全然別の系統から入ってきた日本画の考え方がアニメーションで一つに融合しちゃっているのかなと思います。そういう意味では人物の背景の表現はそんなには遠くないのではと考えてます。もう一つは背景は背景で綺麗でいいじゃないか、って気がするんですよ。背景を無理に人物と合わせたり、人物を無理に背景に方に持っていったりってことを敢えてしないのは背景の空気感みたいなことを物凄く大事にして、それこそ世界の機微みたいなことで、美術のスタッフの人たちがそこに物凄く力を注いていたりしますから。アニメーションの作画の技術も物凄いですが、それと同時に背景の表現力も侮れない感じがしてて、差異を無くしていった場合、それはどっちがどっちを食うかのような事態、どちらかがどちらかをスポイルする形になんないのかなって気もしてます。そうはならないトータル的なデザインが生まれればいいんですけど。ただ、アメリカのフランク・フラゼッタの画、アメコミのような画を見たとしても、やはり背景と人物は等質じゃなかったりしますしね。それは背景として求められているもの、キャラクターを全面に押し出すために求められている役割の違いを感じます。
氷川:CGでもピクサー(ピクサー・アニメーション・スタジオ)の『ファインディング・ニモ』なんかを見ると、キャラクターと背景の明度や彩度は変えているように見えますからね。動きの情報はキャラクターで伝えて、世界観的は情報は背景で伝えるところに日本と大きな差は無いのかもしれませんね。ただそのお約束で日本人がアニメと思うのは輪郭線で囲われたもの、特に原作漫画からアニメにする時には親和性なども含めてそっちの方が主流だという日本独特の事情にも拠るものだと思いますね。この10年間でアメリカの劇場は全部CGに置き換わってしまったんで、日本も後を追うかと思ったら、全然追わないので、日本固有の様式としてしばらく残っていくと思います。今年フルCGでも『サイボーグ009(『009 RE:CYBORG』2012年・神山健治監督)』とかは輪郭線のあるキャラクターで勝負しようとしていますし、しばらくはハイブリット系の画風が続いていくんじゃないですかね。ちなみに日本では輪郭線云々ではジブリの『ホーホケキョ となりの山田くん(1999年・高畑勲監督)』とかは全然違う筆ペンみたいな輪郭で表現したり、最近の劇場版『ドラえもん』などは『山田くん』と同じ小西賢一さんが作画監督をされていますが、太い鉛筆の線で表現したり、第三の選択肢もあったりします。
観客A:ありがとうございました。

観客B:一部の方が言われていることなんですが、『マイマイ新子』の中で諾子ちゃんが千年後の新子たちについて何らかの形で気付いてたんじゃないかという話がありまして、未来について諾子ちゃんぐらいじゃないかと指摘がありました。実際に道中で足踏みをするシーンなどはそのようなイメージがあったように思いますし、セリフでも「私のところにも来て」というのがありましたが、あれが誰に向けてのものかなど、そのあたりについて伺えればと思います。
片渕:解釈は色々あっていいんじゃないかと思います。そこを「こうです」と言いたくないというのが一つあるんですが。むしろ自分より凄い解釈が生まれた方が僕は楽しいような気がします。あそこにこんな糸を通したらこんな風になりました、というのを聞かせて頂ければ凄い有難いです。
氷川:その方が刺激になる?
片渕:そうですね。「こんな風に考えました!」「そりゃ参りました。ごめんなさい。」という感じになりたいです。
氷川:想像力の勝負ですね。
観客B:そこはもともと含みを持たせて作られているわけなんですね。
片渕:昨日、脚本家の辻真先さんが僕が前にやった『BLACK LAGOON』でヘンゼルとグレーテルという双子の話があって、キッドナップにあって非常に性的な虐待を受けてた子供がね、自分はこうなってるって下半身を捲って見せて、見せられた方はギョッとするんだけどあれは何故ギョッとしたのかを「あれは本当はどうなんですか?」と問われて。聞いてみたら辻真先さんは大学で教えてらして学生とその辺のことでちょっと討論になったみたいなんですね。学生さんはどう考えられたのかなと聞いてみたら、その学生さんは「こういうことかな」と言ってたみたいなんですが、それは一つの凄く的確な答えだと思うし、だけど、じゃあそれ以外のこともあっても良いかもしれない。なんだろう、何故ギョッとしたんだろう、自分はそこに何を見てしまうんだろうということをね、これだって決め付けなければ見ている人にとっては永遠に気になることになってしまったりして、その事が非常に大事なんだとしたらむしろ答えを出さないことが必要なんじゃないんですかね、というやり取りをしました。観客の側に委ねることが観客を最も刺激することになるのかもしれないという話をしたら、辻さんが「それでいいんじゃないの」とおっしゃってました。で、良かったー、と思ったんですが(笑)
氷川:昔から、リドル・ストーリーという結末の分からない物語って結構あるんですよ。『女か虎か?(F・R・ストックトン)』が典型なんですが、読者が自分の価値観で選んだ方が答えになるみたいなことですよね。分からなくさせることによって、永遠に心の傷になって引っ掛かり続けることも表現だったりするわけで。
片渕:『マイマイ新子』なんかで千年前の女の子たちは想像力の産物だって言う人もいるかもしれないけど、そういう人がいればいるほど、あれはタイムトラベルなんだと主張したくなっちゃうんですよ。
会場:(笑)
片渕:あれは超能力だって誰も言わないのは何故だ?
会場:(爆笑)
氷川:『マイマイ新子』はSFだよ、と。
片渕:そうそう。
氷川:『アリーテ姫』もSFですしね。ちなみに『アリーテ姫』も1000年後がキーワードになっている話ですから。丁度『マイマイ新子』とくっ付けると反対側が描かれている感じです。
観客B:ありがとうございました。
氷川:思い出した有名な話があります。時間が未来に向かって流れているのって、実は証明不可能だったりするんですよ。人間の意識は現在しかないので。そういうことを含めて世の中分からないことの方が面白いって実感もあります。
片渕:分からないといけない(という)風潮もあって、それもちょっと苦手だったりするんですね。それが解釈不能だったり、感情移入出来ないとか、そういう風に言う前に、自分はなぜその人物に気持ちが入って行かないんだろうとか、そこを考えた方がご覧になっている方にとっても非常に有益なんだろうになって思ってしまったりするわけなんですけど。例えば『ももへの手紙』なんかもね、要するにお化けは本当に居たのかどうなのかを疑ってかかるべきだと思うし、『マイマイ新子』にしても千年前の子が見ている昭和30年の幻想かもしれなかったりするし(会場笑)、そんなところまで広げていけば素晴らしいイメージを抱かれた方の勝ちになるわけで。僕らは事あるごとに言っているんですがフィルムを作るだけの立場なもんですから。フィルム作って何をやっているのかといったら皆さんの中で映画が完成する手助けをしているだけなんだと思うんですね。ご覧になった方の数だけ映画って存在して良いと思うし、ご覧になった方が一本のフィルムから二本も三本も映画を生み出せるんだったら、もっと素晴らしいことだと思ったりするわけなんですよ。おこがましいんですけど。
氷川:エンターテインメントって色んな形があっていいと思うんです。今言った触媒みたいなものを届けて、お土産みたいな形で、心の傷なんかも含めて、残すことも娯楽なんだと思うんですね。全部解決してハイお終いって娯楽映画も結構あるんですけど、本当に翌日忘れているようなね、ハリウッド映画ではあえて忘れさせようとしているメカニズムもあるらしいんですけど、そういうのもあれば、考えさせられる娯楽もあるってことでいいと思います。
片渕:いやだから僕、『ももへの手紙』のももが本当は(グレて)果物とかトマトとか盗んできていて、でも心の中では違うって思い込もうとして(お化けを心的に出現させてしまって)るとすれば今の映画はどう見えるか。
会場:(爆笑)
片渕:なんでそう思ったかというと、『マイマイ新子』をやってるときに僕とうちの奥さんもメインスタッフだったから殆ど家に帰れなくなっちゃって、帰ると冷蔵庫のホワイトボードに(ずっとほったらかしにされてた)娘の字で「もう食べるものがありません」「冷凍食品もみんな無くなってしまいました」「カップラーメンもありません」って書いてあって、で、その後急にグレだしてですね、結構大変だったんですよ。
会場:(大爆笑)
片渕:グレてもおかしくないよなって思ってしまいました。(『ももへの手紙』を見ながら)あれくらいの年頃だったよなって思って、リアルに考えれば考えるほど思い当たる節があって…。
会場:(爆笑)

氷川:次の質問に行きたいと思います。
観客C:他の作品を見て、その作品と共通するところから新しい解釈をすることはありでしょうか。『マイマイ新子』の後半で敵討ちを終えて帰って行っていくあたりで夜道でお父さんに会うって下りっていうのがある意味分かるようで分からなかったんですが、他の作品を見ていてその解釈を思いついたものですから。
片渕:お父さんがなぜ出てきたっていうと、高樹のぶ子さんの原作『マイマイ新子』にはああいうシーンは無いんですよ。実は『光抱く友よ(1987年・新潮社)』って別の小説にあって、作っている方が別の作品を読んでインスパイヤされているわけだから、当然ありなんじゃないでしょうか。
観客C:私も『光抱く友よ』は読んでそこからお父さんを登場させたってのはそこで分かったんですけど、敵討ちの後に貴伊子のお父さんもちゃんと出てきますよね。それで割と貴伊子からみたお母さんに比重があるわけですよね。敵討ちがあって色んなことがあって、そこで更に新子のお父さんが出てくる。最後に貴伊子と新子のお父さん達が出てくるってことに関して、そのお母さんからお父さんへのシフトが見て取れたときに、他の作品を見たときに「生まれ直し」っていうのかなと思ったものですから、もしかしたら新子の敵討ちと同時に、貴伊子は千年前に自分を重ねるってことをやって、あの夜で新子と貴伊子は生まれ直しをしたんじゃないかと思いました。それで生まれ直して、それでお父さんに出会うってことで次のステージに進むという解釈をしたんです。
片渕:どう考えても夜道に突然現れてお化けみたいな人ですからね。でもその辺っていうのは氷川さんがこないだおっしゃっていた最近のアニメーションは片親の主人公が多いと。
氷川:その話はもう少し正確に言うと、今日の『もも』もそうなんですが2012年ってアニメ映画の当たり年と言われているんですけど、『ももへの手紙』と『グスコーブドリの伝記(2012年・杉井ギサブロー監督)』『虹色ほたる(2012年・宇田鋼之介監督)』『おおかみこどもの雨と雪(2012年・細田守監督)』なんですけど、このうちの4本中3本が片親が死んで田舎に行く話なんですよ。『マイマイ新子』も貴伊子ちゃんがその先駆けみたいな感じなんですけど、だからこれ放っておくと海外のアニメ評論家みたいな人から「日本は震災があったから心の癒しを求めて田舎に旅をするブームがあったんだ」とか言われかねない。当然アニメーション映画は3年とか5年とか7年かけて、このタイミングで偶然に連続公開されているだけなんですけど、そういう共通項がある。『グスコーブドリの伝記』は両親が亡くなってこれだけは田舎から都会に出てくるんですが、故郷を離れる点ではいっしょだったりします。それはなぜですか? というのを今日の話題にどうですか、なんて話していたんですけど。
片渕:一つはその答えとしては作劇的なテクニックではあるんですが、もう一個言うと親二人居るのって実は物凄く煩わしいんですよ。本当にそうだと思いますよ。親二人居て子供一人しか居ないんだもの。親二人と子供一人が相対していたら場面として、子供の立場として煩わしいんですよ。それは親一人一人にその子供と直面してもらうしかなくて、同時に二人現れられると敵わんなぁってなるんですよ。夫婦喧嘩されてたらもっとイヤだし。なんだけど、『マイマイ新子』やりながら思ったのは貴伊子ちゃんはああいう立場として、新子だけは確実にきちんと育っている、両親がきちんといるから育っているという意味では無いんですが、ちゃんと与えられるべきものを与えられて育っている子供にしたいなと思ったわけなんですよ。その時に母親が与えてくれるものもあるし、父親が与えてくれるものもあるだとうと思うんだけど、それは両方とも彼女の上に結実してるんだろうなということを貴伊子がね、お父さんを見ることによって「新子ってこういう子なのはこういうお父さんが居たからなんだ」思ってくれれば良くて、最後の最後にある種のネタばらしに出て来てくれればいいかなって思ったわけなんですよ。新子のお母さんはちょっと突拍子もないですし(笑)
氷川:なんで田舎に行くんでしょうか。住処を変えるのは分かりますが。『おおかみこども』をスローライフ志向だという意見もありましたが、それも違う気がして。
片渕:共通して言えることは都会を魅力的に描く根拠が都会の側に見つけにくいんじゃないかと。それにしたってリアルに考えたら都会のほうが生活しやすいですよ。田舎の人間関係の方が面倒くさかったりしますから。田舎で一人暮らしをしたら大変ですよ。お葬式も出せなかったりしますからね。そういう意味で言うとある種の幻想としての田舎が存在してるってことは都会に対して何らかの魅力を感じられない部分ってのがあるんじゃないかという気がしますけどね。
氷川:都会を描くと急に時代感が特定されすぎちゃうのかもしれませんね。『おおかみこども』はものすごくぼかしていて、平成のどこかではあるんですが、携帯電話を使ってるシーンがないですし。
片渕:『ももへの手紙』も出て来ませんね。
氷川:今、携帯電話を出すと大変なことになるんです。ちょっと前の作品で『東のエデン(2009年・神山健治監督)』って作品があったんですけど、あれは当時最先端のものとしてノブレス携帯って機種が出てくるんですが、今見るとスマートフォンじゃないだけで既に古い作品のような気がしてくるんですよ。アニメと風俗の描き方って、そんな怖いところがあるんです。
片渕:僕はもう携帯電話の出てこない世界ばかり描いてますが…。
会場:(笑)
片渕:デジタル的なところに執着しちゃうとあっという間に時代遅れになっちゃうじゃないですか。
氷川:陳腐化が激しいですよね。現実のデジタル機器そのものが陳腐化が激しいので。
片渕:僕なんかもそういう意味でいうとパソコンとかはね、大変有益だし自分にとっても役に立ってくれているんですけど、それが無い世界ってどうなのって言われたらそれはそれで魅力的とまでは言わないけど、その時間ってのは大事な感じがしてくるんですよ。逆にインターネットの使えないところに連れて行かれたら結構その時間は有意義に過ごせそうな気がします。細田監督なんかはネット使いまくりの『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム(2000年・細田守監督)』や『サマーウォーズ(2009年・細田守監督)』があるし……。
氷川:細田監督は極めてしまったから、イチ抜けしたんだと思います。あれも丁度SNSやフェイスブックが流行りだす直前でiPhoneも出てますし、3年経ってもギリギリ陳腐化していない。でも、他のあの時期のアニメではみんな二つ折り携帯を使っていますし、来年あたりはちょっと厳しくなるかもしれません。話が逸れちゃいましたが。

観客D:『マイマイ新子』とは直接関係ありませんが、片渕監督は『おねがい!サミアどん(1985年・小林治監督)』を担当されていた記憶がありますが、今から27年前の作品なんですけども、私は当時高校一年でリアルタイムで視ていました。『サミアどん』はCS以外ではなかなか見られず、パッケージ化もされていませんが、当時27年前にあの作品は日本版のカートゥーンみたいな感じで動きもかなり枚数を使っていましたし、世界観も最初に一家が田舎に引っ越してくるところから始まるんですが、片渕監督が当時担当されていて一番苦労されたこととか、こういうことをやったんだよな、ということがあれば伺いたいと思います。
片渕:亜細亜堂メインで製作されたんですけど、亜細亜堂の人達の作画ってメチャクチャ変なんですよ。
会場:(笑)
片渕:変なのってのは物理法則を曲げて、バーンって水柱を立ち上がったとして、水柱の水しぶきが(手でくねくね軌跡を描きながら)こうやって落ちるんですよ。格好いいんですよ。ああいうのを真似したいんだけど。
氷川:芝山努さん小林治さんですか?
片渕:あと望月智充さんとかかなりやってましたね。すごくスタイリッシュでああいう風にならないかと思ったりしました。
氷川:『ど根性ガエル(1972年)』を作った人達ですしね。
片渕:『おねがい!サミアどん』でびっくりしたのが美術がまたスタイリッシュなんですけど、美術監督が『ももへの手紙』の大野さんなんですよ。しかも『魔女の宅急便(1989年・宮崎駿監督)』をやっていただいて、『魔女の宅急便』は大野さんが良いんじゃないんでしょうかって言ってやって頂きました。大野さんは作品ごとにスタイルが違うんですが、スパっと綺麗な直線ではなくてね、それがスタイルを持って綺麗に変形している画を描かれていてそこに憧れてしまったりしますね。
観客D:『サミアどん』の本放送を視ていてフリーハンドの線が凄く温かい印象がありました。あの頃の東京ムービーの作品ではずば抜けて作り手のぬくもりの感覚が感じられましたが、スタッフの皆さんも熱が入っていたみたいなところもありましたでしょうか。
片渕:あの当時ですね、東京ムービーが日本のテレビ局と関係があまりよろしくなくて、テレビの仕事がほとんど無くなってしまったんですよ。あれしかないからみんなあればっかりやってたんですよ。あとは合作か。
氷川:日本のアニメ会社がこぞって合作に一瞬舵を切って、円高になってすぐに戻ってきちゃんですけど。
片渕:それこそ『宇宙戦艦ヤマト』を見てその人達が大人になってアニメ業界にガッて入って来た時に起こったのがアニメ業界こぞってアメリカの下請けになる合作ブームだったんですよ。
氷川:片渕さんが脚本を担当した『名探偵ホームズ(1984年・御厨恭輔監督、宮崎駿監督)』なども。
片渕:『名探偵ホームズ』はイタリアと合作なんですが、あの当時はイタリア、フランス、アメリカと合作と言ってるうちに只の下請けになってしまって……。
氷川:日本に頼むと他の国に頼むより特殊効果が一杯入ってきて、アメリカのアニメーターより半分のコストで三倍のクオリティで上がって言われてる記事も見ました。
片渕:日本のアニメ業界はそういう仕事をかなりやってました。そういう意味で言うとそれは合作と言いつつ下請けみたいになっていったのは、日本のアニメーションがその当時、こういう表現をやってますよ、というのをアメリカやヨーロッパに直接持って行っても受け入れてもらえる素地が無かったんですよ。今でこそアメリカに行ってもヨーロッパに行っても日本の普通のアニメのDVDがDVD売り場に一コーナー並んでますからね。30年、それくらいの時間を掛けて日本のアニメーションがある種のスタンダードまで成ってこれたのかもしれないです。その前の時期ってのは我々には表現意欲はあるんだけど、表現する場所が無かった。で、海外との合作で変な表現とかやったら益々訳が分からないことになって、これ分からないですって言われちゃったりしますから。それが今ストレートに日本のお客さんを相手にするように作ればそれが他の国の人にも普通のものとして認めてもらえる感じになってます。それは時代の流れみたいなものを感じます。そういう風にしつつも、その頃合作をやっていた世代や、その後に入ってきた世代が、合作でやっていたような2コマ作画ではなく、こうやったらアメリカ的なアニメーションではなくもっと自然な人の営みの中で見せる動きが出来るよ、こういう風に描く方が良いという流れができて、『ももへの手紙』のような作画に結実しているんだと思うんですよ。それこそ30年とか長い時間を掛けて出来上がったものだったりして、氷川さんは今年空前のアニメブームだと仰っていましたが、それ以前でも2008・9年位からここ何年かは長編の日本のアニメーションの質が異常に高かったりするんじゃないかと思うんですよ。自分の作品もその中に入ってしまっておこがましいんですけど(笑)で、2006年が日本のテレビアニメーションの放映本数のピークだったと言われて、2007年からそれが下り坂って言われているんですが。
氷川:今年V字回復してます。
片渕:V字回復なんですけど、逆に言うと2006年から2~3年の制作期間を掛けて劇場用を作ると2009年位に現れてくるわけなんですよ。
氷川:『ももへの手紙』もその頃から作ってますしね。
片渕:『マイマイ新子』を作っていた頃は同じスタジオの中で劇場を8本横並びで作ってて、8本横並びってどこの黄金期の東宝映画じゃ!って感じじゃないですか。りんたろうさんの『よなよなペンギン(2009年・りんたろう監督)』もその時期のものだったりしますしね。そういうものがたくさん作られたんだけど、ここに来て頂いている方にそういうことを言うのは本当に筋違いかもしれないんですが、そういうものが存在しているってことが、まだ世の中にうまく行き渡ってないというか伝わりにくい感じがしてて、勿体無いよとしか言えなくなってしまいますね。自分の商売がそれじゃ干やがるってことは別としても、勿体無いよって気持ちが物凄くあるんですよ。さっきも『ももへの手紙』で結構親子連れが来ていらっしゃっていましたが。
氷川:子どもさんの声がして良かったですね。
片渕:本当に良かった。ここキネカ大森さんでこういう機会を与えてもらったりして、これが凄く勿体無いということへ対しての一つの回答を示して頂いているように思うんですけどね。我々としては勿体無いと思われるような作品を作って行こうと思うんですけど、どっかで世の中の皆さんに気付いて頂ける作品を作っていって、しかも数多く存在してるんだよ、ということを気付いて頂けると良いなと思う次第です。
氷川:『マイマイ新子』のロングランはその旗印の一つだと思います。
片渕:この前も広島で『ヒックとドラゴン(2010年・ディーン・デュボア監督)』の野外上映をやってましたが、『ヒックとドラゴン』も公開の時はかなり苦戦したりして、そういうものがきちんと後で評価されて上映されている状況がもっと広がると良いなと。
氷川:それは観客側の問題でもありますね。観客側にも、まだまだ出来ることはあると思います。
片渕:そういうこととして我々は仕事をしていますから、温かい目で見て頂けると良いかなと思います。締めの言葉っぽくなっていますが。
氷川:終了時間のサインも出てますし(笑)。長時間にわたってありがとうございました。
片渕:ありがとうございました。
会場:(拍手)



(了)




マイマイ新子と千年の魔法 [DVD]

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マイマイ新子 (新潮文庫)

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この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

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この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

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この世界の片隅に(後編) (アクションコミックス)

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『マイマイ新子』片渕須直監督トークショウ in キネカ大森(2)

……お待たせしました。第二回です。



(1)からの続きです。


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氷川:じゃ、ちょっと新作に絡めて話を進めましょう。いきなりポスターが出ていてこれが何だろうと思っている方も少なからずいるでしょうし。さっきまで『ももへの手紙』をやってたじゃないですか。ちょっと関係があると言えばあるんですか?
片渕:『ももへの手紙』も広島県呉市が舞台なんです。呉でも瀬戸内海の島嶼郡というか島の方なんですが、『この世界の片隅に』は呉市の街の話になります。
氷川:海を挟んで反対側の話ですよね。
片渕:そうですね。だから自分たちも何度もロケハンに行ってたんですけど、そこに行くと『もも』の宣伝がドーンとあるわけです。
氷川:ご当地アニメですよね。アニメ業界でも聖地巡礼が流行ってますけど、どっちかっていうと『もも』とか『マイマイ新子』とかは聖地というよりはご当地アニメという感じで、ジャンルがちょっと違う気がしますよね。
片渕:『マイマイ新子』に関しては10月にも舞台になったところにも行って、昭和30年を舞台にしているその場所に行ってみると何が起こるかって言うと、否応なく行った先で存在していないものを思い浮かべることになってしまうんですよ。で、これは『マイマイ新子』を作る時にあえてやったことなんですが、雲の出方とか土の色とか山の形は(今のものも昔の場面でも)一緒にしておこうと。要するにそこは一番現実に存在しているものをリアルに残しておこうと思ったんですね。それは山の形なんて千年前も今も昭和30年も一緒ですから。山の形が一緒だなと思ったり、瀬戸内海の雲の出方とか独特ですから、見てると否応なく想像力を刺激されざるを得なくなるんですよ。それが映画の中で千年の魔法って言ってたんですけど、まあ千年の魔法って一体何なのか分からない様になってるわけなんだけど、でも何となくそれが解ってしまう気がしてしまうんですよ。映画だけで完結しなくて、現地へ行ってみて、更にこういうことだったのか、と言うことが映画を観てその場に立ってくれる人の中で出来上がっていくみたいな感じがあって、それが楽しいんですね。
氷川:そういう意味で、これから何年経っても観られる映画であり続けるだろうし、10年後なのか50年後なのか分からないけど観た人に感銘を与える映画になっていると思います。
片渕:だから差し出がましくもここへ行くと面白いものが見れますよ、と防府に行こうとか言っている人には指図しちゃうんですけど。
氷川:マップとか出来ていないんですか?
片渕:マップもあるんですけど、それより防府に行きますとTwitterとかでつぶやくと、何故か防府の方が出迎えてくださるケースがだいぶんあったんですよ。
会場:(笑)
氷川:オオゴトになってますね。
片渕:だって(今日だって)防府から人が来てますから(客席を見ながら)。
氷川:このティーチインがあるということだけで?
片渕:それもあるし、あと来年の『マイマイ新子』カレンダーを作んないとならないんですよね。来年のカレンダーを今から作るってどうするんだっていう(そのためにわざわざ防府から上京していただいた)。
氷川:今頃は入稿してないとマズイ時期じゃないですか?
片渕:表紙も入れて、7ページにしようか13ページにしようか。
氷川:台割も決まってない!
片渕:昨日今日決まったという。
会場:(笑)
氷川:『この世界の片隅に』の話に戻ると、これは戦時中の話なんですか? 戦前からでしたっけ?
片渕:戦前からなんですが、『この世界』と『マイマイ新子』の考証を手伝ってくれている前野(秀俊)さんという方が(今日も)会場にいらっしゃっているわけですが、『マイマイ新子』に出てくる貴伊子ちゃんのイメージを(彼と)どうしようかって言った時に、割と戦前の中流階級のお嬢さんをそのまま描いちゃえばいいんじゃないかって言われたんですよ。で、そういう風に言われてみて、ずうっと考えてみると戦前から戦後へってのは戦争中の一時期を抜くと物凄く直結してしまうんですね。なんせ昭和12年まではクリスマスパーティーを普通にやってて、海軍の士官がクリスマスパーティーで12月24日は大騒ぎしてるって状況があって、それから突然戦争になって、戦後貧乏な時期があって、で昭和30年くらいなってそういうのが払拭されて、戻ってみたら意外におんなじだったという。で、その延長上に僕らは生きてるんだなという感じがするわけですよ。もちろん社会体制とか若干違うところとかあるけど、庶民の目から見ると意外と一繋がりだったりしてね、でね、戦争中の一時期だけが凄くねじ曲がって変な時期だったんだなって思うわけなんですよ。そういう意味では『この世界』は戦前から始めてみて、後ろに『マイマイ新子』がくっつく感じのものが出来たら面白いんじゃないかと思っているわけなんですよ。原作は昭和9年の1月からなんですが、もうちょっとだけ早めさせてもらって昭和8年のクリスマスくらいから始めたいと思ってます。そこから昭和21年までやるわけなんですね。戦争跨いでまだ先までやって、で、その先にあるのがきっと『マイマイ新子』の世界なんじゃないかと。
 そもそもこの作品についてWEBアニメスタイルで連載を始めていまして、なんでこの作品をやろうと思ったのかなどを書いているんですけど、『マイマイ新子』のお母さんが昭和30年で29歳なんですね。
氷川:昭和元年から2年生まれですか。
片渕:昭和元年か、大正14~15年生まれになるんですけど、で、新子ちゃんてのは19歳の母親に身ごもられた子供なわけなんですね。新子ちゃんは昭和21年生まれなんだけど、要するに団塊の世代じゃないわけ。団塊の世代の方っていうのは終戦後に復員してきたお父さんとお母さんの間にベビーブームになったわけだけど、その前に新子ちゃんは身ごもられててね、新子ちゃんて空想上の人じゃんって思うわけなんですけど、かなり原作者の高樹のぶ子さん(※「高」は本来「ハシゴ高」です)の実際のご家族の記憶とかが物語に反映されているもんだから、僕自身も高樹さんにいろいろ訊いてみたんです。お父さんとお母さんはどこで最初の所帯を構えられたんですかって訊いたら海軍の大分基地の営門の外に下宿があってその一部屋です、みたいなことから始まって、終戦時には郡山にいて、その時には自分はすでに身ごもられていて、それで想像すると一番悪阻の激しい時期に山口防府まで帰ってくるわけなんです。それも夫婦で帰ってくるんです。それちょっと大変だったらしいとお話とかありました。
氷川:当時の鉄道とかってぜんぜん今と違いますからね。
片渕:滅多に走らない列車に満員で人が乗ってる状況ですからね。そういう話とか伺ってて、18~9の花嫁さんが居てって話を『マイマイ新子』の延長で描きたいなって思ってたところにたまたま『この世界の片隅に』に出会ったら新子ちゃんのお母さんとたまたま同い年か一つ年上の主人公が、しかも山口県の隣の広島県にいるので、そのまま直結している感じがしたのが面白かったんです。これは是非やらせて欲しいと言ったんです。
氷川:丸山(正雄)さん(元マッドハウス社長・現MAPPA代表・『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』プロデューサー)から持ち込まれたんですか?
片渕:違います。これは完全に自分の企画で、自分でこれをやりたいって言った企画が生まれてはじめてほぼ通ったんです。そういう意味では丸山さんを動かすのが結構大変だったんですよ。丸山さんが防府に行って『マイマイ新子』の野外上映をやってるのを見て、そこに各地からお客さんが来て、防府の方も含めて1000人位いたんですが、上映を見終わって丸山さんが「片渕くん、あのお客さんたちに応えるためにはね、これは(『この世界の片隅に』)映画で創らなきゃダメだよ。」とようやく言ってもらうまでになったのが2010年の秋だったかもしれない。その後に2011年3月11日の大震災があったわけですが、丸山さんは実家が気仙沼だったんですよ。で、この作品の打ち合わせで原作の出版社に行こうと言ってた日が3月11日だったんですけど、グラグラって揺れて(この映画のために)集めてた僕の(資料の)本が僕の上に落っこちてきて、下敷きになって、でどうするのかなって思ってたら、じゃ打ち合わせに出版社に行こうかという話になって、車出して行って、何か知らないんですけど帰れないんですよ。東京中が大渋滞になって。で、そこでカーナビのテレビで気仙沼が燃えているわけですよ。燃えているし、波で洗われて色んな物が無くなってるし。そういう風になっている状況を見ると、今度は空襲で全部燃えてしまう町だったり暮らしている人だったり、それを更に乗り越えた昭和21年まで暮らしていくっていう人たちの物語というものがね(切実になって来て)、丸山さんの中では「これは自分にとっても完全にやる意味が生まれた」という話になりまして。もう二人がかりで後には引くに引けない感じになっているんです。
氷川:辛いことを乗り越えていく話ではあるんだけれども、当時もほとんど今と変わらない生活があって、感性とかそんなに違わない。要するに戦争中の話って結構トーンがねじ曲がって今に伝わっていて、恣意的に戦争反対的なニュアンスが加えられている作品が多いわけですよね。その頃はイケイケだったり無関心な人もいたり、それこそ3・11が起きた今の反応とそんなに違わない。
片渕:『この世界』のために色々調べたんですが映画の中で反映される余地がないんで喋ってしまうんですけど、戦時中の女の人ってもんぺを履いてますよね。もんぺって何時から履き始めたのかなというのを調べてたら昭和18年の秋ってもんぺ履いてないんですよ。もうちょっと前、昭和18年夏位かな山本五十六元帥が戦死とかいって、山本五十六の写真が銀座かなんかのショウウィンドウに飾られているのを少女たちが見てるって写真があるんですが、ストッキング履いた洋服姿で凭れ掛かってショウウィンドウを見てる写真とかあってね、それがどこでもんぺを履くスタイルになっていったんだろう、ってずうっと調べてたら昭和18年12月とかその辺なんですよ。で、なぜ履き始めたかって理由が炭とか薪の配給がその冬出来なかったんで寒かったって言うんですよ。そして19年の4月位になると新聞の天声人語みたいなコラムで「最近になって暖かくなったらと言ってもんぺを履きたがらない女性が増えた」って事がこれは困るって書かれているわけなんです。結局ね、もんぺのスタイルって寒いからとか便利だからって履いているんで、強制しようって法律は無いんですよ。
氷川:今のジャージ履くのとあんまり変わらないんですね。
片渕:ただ大政翼賛会みたいなのが、こういう格好をして戦時としての意識を高めようっていうアピールは盛んにやってるんだけど、それに対して日本の国民は全く乗ってなかったんですよ。ただ寒くなったから履きだしたっていうのがあって、これはショッキングなくらい今の我々と同じ感覚だったりするんですよね。
氷川:だから内地はイケイケで、大本営発表を信用してたってこともあるんでしょうけど、戦争終わりの東京大空襲のころ、終戦から遡って1年位が本当に良く映画に描かれているピリピリした感じだったんじゃないんでしょうか。
片渕:黒澤明監督の『一番美しく(1944年)』って映画があって、勤労動員の女子の話なんですけど、昭和18年から19年に掛けて撮影している筈なんだけど、外のシーンで夜景の街灯がピカーって輝いてるのを撮ってるんですよ。灯火管制ってどこ?って感じがあって。そういうもんだったりするんですよ。(灯火管制なんかやっちゃったら)暗くなったら(足元不如意になって)歩けないから危ない、って(否定的に)言われているんですよ。で、そりゃそうだよな、って思うわけなんです。危ないから空に向かって電球が光らないようにしましょう位なことは言われてたんだけど、実際空襲があってどうのこうのなるまではそういう意味では庶民の意識としては暗いと危ないじゃんということの方が大事だったりするわけなんですよね。それっていうのは色んなことで覆い隠されて忘れちゃう事だったりすることだと思うんですよ。そういうものを思い出させてくれる原作だったりして、それは本当はこうだったんじゃないのっていう、こうの史代さんていう原作者の想像力が生み出して気がするんですよ。もちろん色んな事を調べられている上で描いているんですけど。
氷川:実感力というか、存在感のシンクロ力というものを感じましたね。
片渕:そうそう。そういう意味でいうとそれは世界を成り立たせるための機微だったりするわけですよ。
氷川:私もさっきの文章を書くにあたって原作を読んだわけですけど、これは本当に片渕監督のためにあるような作品で、実に『マイマイ新子』的でした。50年前、あるいは戦前だと60年前、そこにこうだったんだろうなという世界が、かなり実感ライクにシンクロしていると感じました。
片渕:『マイマイ新子』に「千年の魔法」って出てくるんですけど、原作の高樹のぶ子さんの『マイマイ新子』っていう小説の中には「この土地には千年前には国の都があったんじゃ」ってお祖父さんが言うんだけど、どんな都か書いてないし、誰が住んでいたか一言も書いてないんですよ。それで調べたら偶々清少納言が子供の頃に居たって分かったんです。それで仕方なく…中学高校の頃は古典とか苦手だったんで、仕方なく読み始めたんですよ。清少納言の書いた『枕草子』とか読んでみたんですよ。それがあんまりにも今と変わらないんでびっくりしたんですよ。
氷川:当時の短歌とかTwitterみたいなものですもんね。
片渕:宮中で侍女みたいなことをしている女の人達がいてね、ある時、宮中の色んなところを巡ってみましょうって話になるんだけど「櫓があるけど登れないのかしら」「今日は登ってよいそうよ」というやり取りがあって、みんなで登って(下にいる人に)手を振るとか、それって全然今の女の子たちの風景だなって思ったりするわけですよ。映画の中で牛車の上に一杯のウツギの花を飾っているのも、大人になった清少納言が本当にやってるんですよ。あれは実際には京都でやってるんだけど、山の方に行ってみましょう、って今でいうピクニックに牛車で行くわけなんだけど、行った先でお昼を出して貰えないでしょうか、って言ってお昼を出して貰うんだけど、そこで今日は気持ちが良いからお外で食べましょうなんてことをやった上でお花が一杯咲いて綺麗だからこれで牛車を飾って都に帰ろうかしら、みたいなことをやってるんですよ。今度は大雨に降られるわけですけど。
氷川:わはは。
片渕:そういうものって全然千年前の人って気持ち(だっていうこと)を忘れさせてもらって読めるものだったりして、いつの時代でも人間変わんないんだなって。
氷川:そうなんですよね。『この世界の片隅に』のために書いた応援文がハイテンションだったのも、日付を見たら2011年8月になってて。ちょうど震災後のメンタル的な影響もあって、その頃に「アニメって何が出来るのかな」っていうことを震災以降ということに関してすごく考えていた時期です。意外とアニメが連綿と描いてきたような、人を活気づけるとか、エネルギーを与えるとか、ある種の賦活力が必要とされていくだろうと思ったんです。よくキッズアニメとかで「あきらめるな!」とか言ってますよね。僕は子どものころ馬鹿にしてたんです。でも意外と大人になってみると、そういうのが自分の一部に肥やしとしてなっていたりする。この作品が描いているのは、昔も今も変わらないエネルギーがあり、何か乗り越えられるものがある、生活っていうものは変わらないんだっていうことですよね。色々流行はあるけれど、根底のところでは変わらないところが力を与えると。そんなようなことを考えながら、文章をまとめたと思います。
片渕:まさにそのように作ろうとしていました。今日午前中は『この世界の片隅に』の昭和20年8月15日の場面の絵コンテを描いていたんです。それでその後にやらなければならないのが8月15日の晩御飯の話をしなきゃいけないんですよ。お昼に戦争が終わったのに晩御飯を作らなきゃいけないという話をこれから絵コンテにしようとしてるんです。その晩御飯はその後も毎晩続く晩御飯の最初のひとつだったりするし、それまでずっと続いてきた晩御飯のただのひとつだったりするわけなんです。
氷川:情報はこれからおいおい発表になっていくと思いますが……。
片渕:まあ原作を読んでしまえばネタバレもなにも無いですけど、それに原作は非常に名作ですのでこれは是非読んで頂きたいと思います。
氷川:原作は筆で書かれているんですか?
片渕:いえ、違うんです。色んな手法で描いているんです。最近はこうの(史代)さんは『ぼおるぺん古事記(平凡社 http://webheibon.jp/kojiki/ に連載)』という作品でボールペンを使って漫画を描いてらっしゃいますが、原稿見させて頂くと普通のケント紙に一コマだけ切り抜いてあって、その紙を裏打ちして貼ってあって、ザラザラの紙に鉛筆で描いてあったりするんです。
氷川:マチエールを変えるみたいに?
片渕:そうそう。氷川さんが筆だと思われたのは全部鉛筆のページなんです。
氷川:そうなんですか。
片渕:それから口紅も使ってますね。
氷川:すごいですね。
片渕:一昨年の夏に『マイマイ新子』の件で……『マイマイ新子』は山口放送が製作委員会に入っているんですが山口放送っていうのは日本テレビ系列なんですが2010年8月末の『24時間テレビ』の地方枠の中で『マイマイ新子』感想画コンテストをやってたんですよ。それを僕と原作者の高樹のぶ子さんと審査と表彰式をするってことをやってたんですが、やったあとにその日が広島県廿日市でこの作品の原画展(『第14回平和美術展 こうの史代まんが原画展』・はつかいち美術ギャラリー・2010年8月5日~8月29日)行われていて……。
氷川:広島ならパッと行けます?
片渕:パッと行かないとダメなんです。そこまで近くないんで、瞬時には行けない。しかも広島市だったらいいんですけど、廿日市なんですよ。宮島のあたりなんですけど、それで、高樹のぶ子さんに「申し訳ないんですが、ここで置いて行きますから」「いいわよ、私は博多へ帰るから新幹線来るまで喫茶店で時間潰します」「申し訳ありません!」というやり取りをして新幹線に乗り、広島駅を駆け抜け、宮島線に乗り、17時に終わる原画展に20分位前に駆け込んで、かなりの点数があったんですが、その時に見たのが鉛筆で描かれた原画でしたね。あと口紅のはなかったと思いますが、左手で描いてある原画とかありましたね。それは印刷されているもの以上に我々に訴求するものがありました。表現することにどれだけ力を注いでいるかということだったりするんですが。
氷川:生の力みたいなものでしょうか。
片渕:氷川さんが昔はぶっ叩くとアニメって星が出てたみたいな事を以前言っていましたが……。
氷川:花火とかショックとか言われている記号ですね。
片渕:バーーンってやるとショックがボンボンボンと出て、それがぶっ叩いたって表現になってたんだけど、それは只の記号で、ぶっ叩いたもの、それがボールなら変形してビューンって飛んでいくのが表現なんだみたいに、日本のアニメーションはどんどん進んでいるように思われます。初期のころは記号を並べることに終始してたのがね、表現みたいな方向に来て、先程上映されていた『ももへの手紙』の作画の表現に行ってしまったりするわけなんですよ。
氷川:大スクリーンで観ると、おそろしい作画パワーですよね。
片渕:それは我々がやっているのは、なぜ映画を画に描いて作るかという根源的なところだったりだと思うんですよ。こうの史代さんの漫画なんかも根源的なことを思い起こさせてくれるし、沖浦監督とかがやった仕事も思い起こさせてくれるんです。なんで我々は実写ではなく、人間連れてきて同じように動かせばいいじゃんと思うようなことを、本当の人間みたいだねっていう画を何でわざわざ描かなければいけないのか。それが実は大事なんだということに思い至るきっかけにこうのさんの作品はなっています。
氷川:昨日の石黒昇さんを送る会で配られた小冊子に石黒さんが病床で書かれた未完のエッセイがあるんですが、その中にも「あえて絵でやることに意味がある」「あえてやるからこそ伝わるものがある」という事が書かれていました。『宇宙戦艦ヤマト』の時代ですが、オプチカル合成やマスク撮影とかややこしいことをして、多重合成みたいなことまでして、他のアニメには無いような映像を石黒昇さんは作られていたんですが、今はデジタルになって普通に出来るようになったんです。でもそれが簡単に出来るようになってしまうと、急につまんないものになっちゃう。ハリウッド大作的なものも、一つ一つはすごく超現実的なことを描いているんだけど、全体でみると「ふーん」って冷めた感じになるのは、なぜなんだろうと考えますね。それはあえて難しいこと面倒くさいことを乗り越えるときの粘りっけみたいなものから、何か伝わってくるものがあるからではないかと。
片渕:石黒昇さんて方は松本零士さんていう漫画家がいて、漫画家なんだけどアニメーションに物凄く造詣が深く興味があった方が監督をされた『宇宙戦艦ヤマト』で、その監督の意図を汲み取って表現として組み立てていくかということをやられていました。
氷川:現場監督として具体化する仕事ですね。
片渕:そうですね。それも色々なタイミング的な表現も『宇宙戦艦ヤマト』の中では使われていて、これだけの間は取らないよなってという物凄いインターバルがあったりしてね。
氷川:超ロングショットとかね。
片渕:そうそう。そういうものを作り上げられて、まさに表現みたいなものでアニメーションの映像を創りだそうとしていた方だったんですけど、2年前だったか吉祥寺で『マイマイ新子』を上映してたら、石黒監督が観にきていらしてて、その後、せっかくいらしたのでお話を伺わなきゃと思いまして、飲み屋さんに誘って、僕も飲めないし石黒さんも飲めないんですよね。
氷川:ご病気の直後ですかね。
片渕:そうですね。で、飲まないのに、かなり長時間に渡ってお話伺ってですね。『宇宙戦艦ヤマト』の時は面白かったんだよ、爆発を指に絵の具付けてセルに描いてたんだよ、そうしないと表現出来ないから、って言うんですよね。でね、その後の松本零士さんの漫画の作品では指に墨を付けて指紋で爆発を描いてらしたりしててね、ああいうのが面白いなって思いました。お互いに影響・刺激しあってたんですよね。雲みたいな爆発を描くときに全部指紋で描いてたりして、ああいうものは物凄く面白いですし、その面白さっていうのが我々が何かをやろうとする時に本当は根源にないといけないものの様な気がしますね。
氷川:今、爆発の話をしましたが、『ももへの手紙』の芝居だったり、小道具のディテールだったりも人が手で描いているわけで、根気よく描いていくことが力を宿すことにつながるってことはありますね。


(3)へ続く


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この世界の片隅に(後編) (アクションコミックス)

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Ha:mo(ハーモ) コンセプト映像 『約束への道』/片渕須直監督

『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督作品です。


ITS Ha:mo(ハーモ) コンセプト映像 『約束への道』


アニメーション制作:MAPPA
監督:片渕須直
音楽:村井秀清
声の出演:桑島法子 木内秀信、細谷佳正、折笠富美子
作画監督:阿部恒
キャラクター原案・画面構成:浦谷千恵


スタッフの一覧は以下のtogetterから取得しました。
http://togetter.com/li/441623


短い中にいろんな物語が詰まっている映像です。必見。

『マイマイ新子』片渕須直監督トークショウ in キネカ大森(1)

2012年9月8日に行われた『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督とアニメ評論家の氷川竜介さんとで行われたトークショウとティーチインを公開します。本記事は片渕監督と氷川さん、上映が行われたキネカ大森さんのご好意により公開されることになりました。この場にてお礼申し上げます。


日時:2012年09年08日
   16:35(~18:15)『マイマイ新子と千年の魔法』
   18:25(~20:27) 『ももへの手紙』
   20:30 トークショウ&ティーチイン

会場:キネカ大森
ゲスト
映画監督:片渕須直
アニメ評論家:氷川竜介

f:id:mikeshima:20120908204951j:plain


----本日はご来場ありがとうございます。ただいまよりトークショウとティーチインを行います。ゲストは『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督とアニメ評論家の氷川竜介さんです。それでは拍手でお迎えください。
会場:(拍手)
氷川:ただいまご紹介あずかりましたアニメ評論家の氷川竜介です。
片渕:すみません。沖浦(啓之)監督が来られないので、一本前の映画の監督の片渕須直です。よろしくお願い致します。
氷川:ではこれから前半ふたりでトークを進めて、後半ティーチインという形にしたいと思います。ここキネカ大森さんで長年行われている形式でしょうか、昔『天使のたまご(1985年・押井守監督)』という押井監督のOVA(オリジナルビデオアニメーション)が出た時もここでティーチインが行われてアニメージュ(徳間書店)の付録に付いたことがありました。30年近く前で相当古い話なんですが。まあお客さんからご質問等受けながらティーチインという形で私と片渕監督とでお答えしたいと思います。
 まず『マイマイ新子と千年の魔法』ですが、片渕監督はそうとう長くイベントに出られていると聞いています。何年くらいになりますか。
片渕:公開が2009年11月なんで、あと3ヶ月くらいで3年経つんですけど、そういう意味で言うとかねてより存じ上げている氷川さんではありますが、氷川さんが『マイマイ新子』をご覧になっているところを最初に見たのは日大の芸術学部映画学科で試写(2009年10月23日)ですよね。こういう映画ですから若い人達はどう反応するかと思ったんですけど、暗くなって上映されている間に結構グスグス鼻をすする音がし始めて、学生にも通じているんだなと思って、で上映が終わってパッと明るくなって前に出てみると客席に氷川さんとそれから『マイマイ新子』のファンの方々の上映存続の署名活動をやってくださった廣田(恵介)さんがなぜか学生に混ざっていらっしゃって、氷川さんに見られちゃってた、って思ったのが最初でした。もう2009年の11月に入ってたんですかね。10月の終わりだったのか。
氷川:そうですね。そろそろ一般試写が回るという頃でした。たぶんその年はですね、金田伊功さんが夏に亡くなられて、その(葬儀の)帰りに一緒になって、『マイマイ新子』の話をしたと思うんですが。
片渕:そういう意味でいうと上映前からこうやって人前に出てお話するようなことをやってたものですから3年は堅いかなと思います。
氷川:その日大の話をすると大変申し訳ないんですが、途中から入ったんです。
片渕:それも存じております(笑)。
氷川:僕らの世代からするとギリギリ映画が入れ替え制になる直前の世代でして、途中から観て頭の中で繋ぐのは普通だったんです。70年中盤頃までは二本立て公開も普通だったですよね。
片渕:昔はだいたいそうなんですね。二本立て位だったらいいんですけど、四本立てくらいで真ん中から観て一巡してそこまで観なければと思うと結構大変だった記憶がありますよ。
氷川:気に入った映画だと一周半して最後からもう一回観たりすることは普通でしたね。でも『マイマイ新子』は後半だけ観ても「なるほど」という感じがしました。つまりその「千年の魔法」みたいな言葉が書かれているから、何かの契機に千年前にタイムスリップするみたいなことが普通のアニメの作り方だと思うんですよね。だけど、そういうことじゃなくて、我々が生きている当時としては2009年から50年位前の昭和30年と、昭和30年からみて千年前と、べつに別れてはいないんだと、そういうことですよね。
片渕:うん。不思議に、たぶんこの辺(キネカ大森という場)にも押井さんがティーチインされた時空が何か重なっているわけですよね。
氷川:でもそういう話っていうのがこの3年の間、染みるんです。さっき金田伊功さんの話題が出たわけですが、おそらく金田さんが皮切りだったと思いますけど、驚くべき数のアニメ界の才能をですね、数を数えるのが憂鬱なくらいここ3年で喪ったわけです。
片渕:実は昨日も氷川さんとご一緒させていただいて。とある場所なんですが、それが3月に亡くなった『宇宙戦艦ヤマト(1974年)』の石黒昇監督の送る会だったわけです。
氷川:そうなんです。特撮関係者でも私の師匠である竹内博さんという円谷英二研究の第一人者が去年亡くなったりして、かなり近しいひとが立て続けに亡くなってます。そういう事が続いて起きて、より『マイマイ新子』的な同時存在的な、自分を形作っているものは何なんだろうと、ものすごく考えさせられる機会が立て続けに起きたんですね。僕らはどこから来てどこへ行くのかじゃないけども、何なんだろうと、ものすごく考える中の『マイマイ新子』の大切さを今日来る道々で思っていたわけです。
片渕:昨日も氷川さんの解説を交えながら『宇宙戦艦ヤマト』の氷川さんの編集してこられた本編のカットに石黒さんの描かれた原画の映像を観ていたわけですが、ふと後ろを見ると松本零士さんがそこに立っておられて、その画面をじっと見つめてらっしゃってね、で「35、6(歳)だったんだ。僕たちは。」って仰っていたんですよ。それから35、6年経ったじゃないかなと思うんですが、若い頃に一つの映像を作るために一緒になっていた、その時間の流れみたいなものを感じつつ、その次元がそこに同時に存在している感じを覚えてしまって胸を打たれましたね。
氷川:予見的と言っては失礼かもしれませんが、今は『マイマイ新子』的なメッセージというのが必要とされるタイミングなんだなと思いました。
 僕らってスタンドアローンでオギャアと生まれて死んでいく訳では全然なくて、自分たちを形作っている物質だって全部地球から借りて、過去どこかにあった物質がたまたま形になってるだけ。それも、いずれはバラバラになってお返しするわけですけど、それを人間単体の生まれて死ぬってだけで考えちゃうとあまりに切ない。そうではなくて、繋がりだとか同時存在的な何かを、ここ3年で切実に思ってしまっています。
片渕:我々はどうしても何かを残していく立場なんだということを『マイマイ新子』なんかを作ってから実感したここ数年でした。
氷川:他の作品と比較するのは失礼かもしれませんが『ALWAYS 三丁目の夕日(2005)』みたいなノスタルジーをファンタジーとして描くというような、商売としての分かりやすいスタイルもある訳じゃないですか。でも、『マイマイ新子』は違う。ここにポスターが飾ってある(『この世界の片隅に』を指しつつ)この作品も前に実写化されているわけですが、実写だとある種振り返り的なものにするのに適している企画ではあるんですが、そうはしない訳ですよね。
 あ、すみません。僕のこの作品に対する立ち位置を説明しますと企画書のための「片渕さんてこういうひと」という推薦というか紹介の文章を書かせて頂きました。
片渕:実は企画書の中に氷川さんの文章が相当ページ数書かれていまして。
氷川:そんなにページ数多く書きましたっけ?
片渕:すみません。お送りしていませんね。
会場:(笑)
氷川:何文字かは忘れてしまったんですが、アニメスタイルの小黒祐一郎編集長から依頼があって「片渕さんてこういうひと」という文章を書いたんですが、来る前に読み返してみると、ちょっとあれはハイテンションな文章でしたね。
片渕:なんだか読んでて気恥ずかしくなる文でした。
氷川:(笑)。どんなことを書いたかというと、さっきから話していることに絡んでいるんですが「人」と「世界の機微」を描ける作家であるということを書かせていただきました。アニメって自由だから、どういう作り方でも出来るんですけども、アニメーションって言葉が示す、命を吹き込むというのは本当は何なんだろうってことを、ここ10数年考えてます。特に日本で発達してきたアニメってすごく独特になってて、先ほどまで上映されていた『ももへの手紙』もそうなんですが、欧米的なアニメーションってパントマイムというかコリオグラファー(振付師)というかヴォードヴィリアン(芸人)というか、「動いているわたくし、見て見て」というスタイルです。キャラクターはタレントですよ、注目してください。背景は背景ですよ、そんなに見なくていいです。CG中心になった今でもそういう作りをしていることが多いと思うんですが、日本の場合はそうじゃなくて「世界が丸ごと生きてますよ」という作りが増えているわけですね。それが主流というか。そういうような事を考えた時に、『マイマイ新子』的な考え方って、空間だけでなく時間も隔ててとらえてないんだと。そういうことを含めた機微や繊細さが一番のポイントじゃないかということを書いたんですよ。
片渕:あの本当にその意味でいうと昨日の話に戻ってしまうんだけど『宇宙戦艦ヤマト』を見てた頃には僕ら中学生だったりしたわけで、その時代にアニメーションってこういうことやるんだって思ってたものが、いつの間にか自分も50を過ぎてしまっているわけなんですね。で、70代後半とか80代の方も同じ場所にいらっしゃったんですけど、よく考えてみると最前線に立たされているのは僕らなんだなという肩の荷がドシンと来る感じもあったんですけど、そういう風に考えてみると僕らはアニメーション面白いなと思った時代って自分のすぐこの辺(自分のすぐ近くを手で指し示しながら)にあるわけですよ。それと今そうやって「お前ら後頼むぞ」と言われているような感じと、むしろ自分たちが「あと頼むぞ」と言わなきゃいけない立場になりかけているんですよね。その今の自分と中学生くらいの自分が同居しているような感じがします。それが空間的な中じゃなくて、内面として個人の中にそういうものってあると思うんですよ。子供は絶対に大人にならないかもしれなくって、だけど子供の中にも初めから大人が存在しているのかもしれない。
氷川:確かにプレインストールされている感じはありますよね。
片渕:で、そういうものってその局面、その局面でどの部分がクローズアップされるかで重層的に一人の人間が形作られていると思うんですよ。
氷川:僕個人の話をしても仕方ないかもしれませんが、僕が子どもの頃に『少年忍者風のフジ丸(1964年)』をやってまして、『鉄腕アトム(1963年)』って4年やってたので同じ時期にやっていたと思うんですが。
片渕:藤沢薬品ですよね。
氷川:そうです。自分がどういう風に当時見てたかという記憶が残っているんですけど、『鉄腕アトム』とか『オバケのQ太郎』とかカックンカックンした動きで、「大人って何て手抜きのテレビまんがを作るんだろう」と思ってたんですよ。ところが『フジ丸』のオープニングって木で出来た砦の上で斧と剣でチャンバラするんだけど、腕を振ると着物の裾が跳ね返ったりして、ものすごくスムーズにリアルに動いている。『フジ丸』のようなものを作れる大人がいるのに、どうしてこっちはカックンカックンした動きで手抜きをしているんだろうと、たぶん6歳くらいで考えていたんですよ。そういうことを考えていると、こんな大人になってしまうという。
会場:(笑)
氷川:当時『オバケのQ太郎』って日曜の7時半にやってたんですけど、『オバQ』が始まる直前に東京12チャンネルに回すと『ディズニーランド』をやってて、4本か5本に1本しかアニメはやらないんだけど、始まる前にティンカー・ベルが一コマ打ちのフルアニメーションでキラキラキラってきれいに飛んでくるんです。そこでチャンネルを回すと『オバQ』が4コマか6コマでカックンカックン動いてる。ああ、日本ってお金がないんだなぁと思ってた子どもだったんですよ。そういう事が如実に分かるようになったのも40過ぎてからなわけなんで、長くやっていることも意味があるんじゃないかと。
片渕:振り返る機会が多くなった気もするんですよね。そうした時に元になった自分はどこに行っちゃったのかなと思うと、やっぱりまだいるんだな、と。
氷川:上書きされたわけじゃないですよね。
 じゃ、ちょっと新作に絡めて話を進めましょう。いきなりポスターが出ていてこれが何だろうと思っている方も少なからずいるでしょうし。さっきまで『ももへの手紙』をやってたじゃないですか。ちょっと関係があると言えばあるんですか?


(2)へ続く


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